「わくわくするわね」
志摩子さんがふふふと笑う。
「そうよ、今日こそにっくき石堂に引導を渡してやるんだから。村田を壊したくせに、のうのうとうちから勝ち星をゲットするなんて許せない」
由乃さんが右手のこぶしを振り上げて力説する。
祐巳は対照的な二人の親友に前後を挟まれて関内駅の改札を通り抜けた。考えてみれば、この三人でハマスタに来るのは初めて。
「由乃さんとは去年来たけれど、志摩子さんと一緒は初めてだね」
「そうよね。志摩子さんもベイファンなのは知っていたけれど、機会がなかったのよね」
志摩子さんと野球というのもあまり接点がない感じだけれど、おうちの檀家に大洋漁業の関係者がいて、以前はよくチケットをもらったという。
「ハマスタ限定よ。川崎球場は、変な匂いがするからちょっといやね。千葉マリンはきれいでいいけれど」
志摩子さんがおっとりと微笑む。本当にマリアさまみたいにきれいで、祐巳は一生こんな笑い方はできないだろうなと思う。
「志摩子さん、千葉マリンに行ったことあるんだ」
「ええ、乃梨子と一緒に」
そうだった。志摩子さんの妹、白薔薇のつぼみであるところの二条乃梨子ちゃんはマリサポなんだっけ。しかも初芝ファンでおっさん選手マニア。
「じゃあ、志摩子さんもタオル回したりしたの?」
「もちろん? ジョニーの復帰登板はとても感動したわ」
「それだったらさ、日本シリーズが東京湾シリーズになったらどうするの?」
祐巳が素朴な疑問をぶつけると、由乃さんが祐巳の左袖を引いて小声で言った。
「ばかね祐巳さん。ありえないことを言ったら志摩子さんが可哀想じゃない。ロッテがプレーオフにさえ出られると思うの?」
しまった。なんとか五割ラインをキープして混戦に食いついているベイスターズはともかく、ロッテは最下位を独走しているんだっけ。
「あら、いいのよ。勝つようなチームを応援する趣味はないわ」
悪意のかけらもない微笑を浮かべて志摩子さんがフォローしてくれる。フォローの内容は気になるけれど。
「じゃあ今年のベイは応援できないんじゃない?」
「どうせ最後は定位置だからいいの」
きれいな顔をして随分ひどいことをおっしゃる。
「まともな先発投手が四人しかいなくて、阪神戦以外は三点取るのがやっとのチームだからこそ応援する気になるのよ。強いチームを応援するなんて、面白くないもの」
さすが白薔薇さま。祐巳たちとは肝の据わり方が違う。
「何をネガティブなことを言っているの志摩子さん。今年のベイは違うの。吉見だって、去年と今年とでは、手術前と手術後の私くらい違うんだから」
イケイケ由乃さんが反論する。その喩えは相当間違っていると思うんですけれど。
試合は事前の予想通り吉見と石堂の先発で始まった。吉見は去年とは見違えるような球威でかんたんに2アウトを取った。
「だから言ったでしょう志摩子さん。今年の吉見は違うのよ」
由乃さんが勝ち誇ったように志摩子さんに話しかけた。
「岩村には打たれるわ」
「どうして?」
「今日の吉見は左肩が開いているもの。あれでは岩村クラスの選手には球の出所を見抜かれると思うの」
「ああどうしてそういうネガティブなことを言うかな。さっきだって 145km/h 出てたじゃない。そう簡単には打たれないわよ」
と由乃さんが志摩子さんの指摘を否定したとたんに。
カキーン!
快音がスタジアムに響き渡り、岩村の打球がライトスタンド中段に突き刺さった。
「ありゃ」
祐巳と由乃さんは肩を落として黙り込んでしまった。それにしても。
「志摩子さん、すごいね。たったあれだけ見ただけで今日の吉見の調子とかわかっちゃうんだ」
「そうね。お姉さまには随分色々なことを教わったわ」
やっぱり出たよ。あのセクハラおやじ女子大生の正体は何なんだろう。変な漫画も沢山読んでるし。
「とにかくね、まだ一点じゃない。これからどうにでもなるわよ」
由乃さんが気を取り直して主張する。このポジティブシンキングもなかなか真似のできないものではある。
「鈴木健に回ると怖いわね」
志摩子さんが呟いた。
「そうなの?」
「ええ、今日の吉見だと、左バッターの方がタイミングが取りやすいから」
「左対左でも?」
「左投手が必ず左バッターを抑えられるなら、富岡でも戦力になるのではなくて?」
そういう正論を言われると祐巳には反論の余地もない。
志摩子さんの予感は的中し、吉見はラミレスに四球を与えてしまい、鈴木健が左バッターボックスに向かった。
「そうそう志摩子さんの予想ばっかり当たらないわよ。鈴木健は打たないって私のゴーストが囁いているもの」
とうとう由乃さんがわけの分からないものに根拠を求め始めた。あんたの精神は電脳世界に開かれてるのか、と突っ込みたかった祐巳だったが、そこで突っ込むとぼやきが倍になって返ってくるので我慢した。
「外角の直球ね。それさえ投げなければ大怪我はしないと思うのだけれど」
志摩子さんがかなり難しい注文を出した。外角の直球でカウントを整えなければ投げる球などなくなってしまう。
そして。
ワンボールからの二球目に吉見が投じた外角の直球はレフトスタンドに消えた。
「……」
言葉を失った二人に志摩子さんがさらに追い討ちをかけた。
「これで終わりではないと思うの」
結局吉見は球の切れはあったものの、志摩子さんのネガティブ予想がほとんど的中して5点を失い、打線も案の定石堂をとらえられずじまいで完敗してしまった。
「ああもう、石堂なんて広島相手に爆発炎上するような投手がどうして打てないのよ!」
由乃さんは相当頭にきてるみたい。
「ごめんなさい」
志摩子さんが口を開く。
「なんで? 志摩子さんが謝ることじゃないじゃない。打てないのは選手の責任で、志摩子さんは何も悪くないでしょう?」
祐巳がフォローすると、志摩子さんは寂しげに微笑んだ。
「昔から、私が球場に来ると負けるのよ。通算だと7勝46敗3分け」
「……去年の成績よりひどいね」
自分が観戦した試合の通算成績を覚えているのも凄いと思うけれど。
すると由乃さんがくるっと振り返った。
「志摩子さん!」
由乃さんは志摩子さんを睨みつけている。困ったな、「もう金輪際志摩子さんとは野球を観ない」なんて言い出したらどうしよう。
しかし、由乃さんのポジティブシンキングは祐巳の予想の斜め上を行っていた。
「これから私たちがハマスタに来る時には全部付きあってもらうからね」
「え」
「どどどど」
困惑する志摩子さんと祐巳に由乃さんは右手の人差指を突きつけて言った。
「どうしてもこうしてもないわよ。志摩子さんのジンクスくらい破れなくてどうして優勝できるのよ。私のパワーで志摩子さんの運勢を決定する惑星の運行を変えてやるの。反論は許さない。OK?」
志摩子さんが目を丸くしたまま頷くと、由乃さんは満足そうに微笑んだ。
「よろしい。じゃあこれから反省会ね。志摩子さんのおごりで」
そう言うと由乃さんは志摩子さんの手を取ってずんずん歩き始めた。
「あ、ちょっと待ってよ由乃さん」
祐巳は前を行くおさげとふわふわの巻き毛を慌てて追いかけた。
由乃さんは強い。ちょっと怖い。そして、とても優しい。
これからしばらく勝ち試合は見られそうにないけれど。
でも、こういうのってなんかいいな、と思うのだ。