ジー、カシャッ。
ジー、カシャッ。
ジー、カシャッ。
さっきから隣でひっきりなしにシャッターを押しているのは、写真部のエースにして副部長の武嶋蔦子さん、ではない。
リリアンの制服を着てなお美少年にしか見えないともっぱらの評判の黄薔薇さま、つまり支倉令さまである。
その令さまがなぜ祐巳の隣にいるかといえば。
昨夜遅くに由乃さんから電話があったのだった。
『夜分遅くごめんなさい。祐巳さん、明日暇かしら。』
「うん、特に予定はないけれど。どうして?」
『あのね、令ちゃんにつきあってあげて欲しいんだ、ハマスタ。チケットがあるんだけれど。』
「え。どうして由乃さんが一緒に行かないの?」
『うん。……ちょっと明日はまずいんだ。だから、ね。お願い』
というわけで、妙に歯切れの悪い由乃さんの言葉に疑問を抱きつつ、祐巳は令さまと並んで横浜スタジアムの一塁側内野席に陣取っているわけである。
「でも、令さまに写真の趣味がおありだなんて、知りませんでした」
「ああ、そうね。カメラちゃん、……蔦子さんじゃないから、いつもカメラを持ってるわけじゃないからね」
令さままで「カメラちゃん」ですか。
そういう令さまは、白いコットンのシャツにジーンズというシンプルないでたちだけれど、足がすらっと長くてお顔が小さいから、モデルさんのように格好いい。もちろんメンズのファッション雑誌のモデルさんのように。
そして令さまが持っているのは、蔦子さんでも持っていないような大きな望遠レンズの付いたものすごく本格的なカメラ。そういう趣味のない祐巳にはよくわからないけれど、たぶんとてもお高いものだと思う。
「すごいカメラですね。まるでスポーツ新聞のカメラマンみたい」
祐巳が笑うと、令さまも笑いながら答えた。
「そうでしょ? これくらい装備しないと、福盛さまのお美しいお顔が撮れないからね」
え。今なんとおっしゃいましたか令さま。
「ね、双眼鏡貸してあげるから祐巳ちゃんも見てごらんよ。ああ、福盛さまったら今日もお美しいわ」 見た目とまるで似合わない夢見る乙女のようなため息とともに、令さまはまたカメラのファインダーを覗いて、きゃあきゃあ言いながら投球練習をしている福盛の写真を撮りまくっている。ちなみに今は2003年のシーズン中なので福盛はまだベイスターズに在籍している。
「やっぱりプロ野球選手は顔よね」
福盛がセンター方向に体を向けると、令さまはやっとカメラから顔を離した。
「あ、あの、令さま。令さまは野球を観に来たのではないのですか」
「え、野球なんて、美しい殿方を観賞するために存在するスポーツなのよ、祐巳ちゃん。乃梨子ちゃんは違う考え方のようだけれど」
そうだ。乃梨子ちゃんはおっさん選手好き。でも、確かに福盛はかっこいいけれど、野球選手には皆それぞれ魅力があるんじゃないのかなあ。
「令さま。古木も格好良くないですか」
「アゴだからダメ」
……内川の立場は。東海大学体育学部に在籍する実の弟に「ベイスターズが勝てない理由」なんていうタイトルのレポートを書かれちゃってる内川の立場は。
「じゃあ、琢朗さんは」
「女たらしだからダメ」
「村田は」
「怒るよ」

試合が始まると、令さまは試合の進行などそっちのけで写真を撮っていた。ベイスターズの攻撃中はフィルムを入れ替えたりトイレに行ったりして、相手チームの攻撃になるとただひたすらマウンド上の福盛にピントを合わせている。時々「ああ」なんて可愛らしい溜め息をつきながら。
試合も中盤にさしかかってくると、福盛の球威では相手チームを抑えきれなくなり、塁上をランナーが埋めている。
「ああ、あの苦しそうな表情がたまらないのよね。いつもはクールなんだけど、ちょっと状況が悪くなるとすぐに顔に出るところも素敵」
令さまは完全にあっちの世界に行ってしまって、大変な勢いでフィルムを消費する。
祐巳が最早心の中での突っ込みをする気力も失せてきた頃、福盛は散々に打ち込まれてマウンドを降りてしまった。
「なにするのよあのハゲ。福盛さまは30点取られても40点取られてもお美しい姿を私に見せる義務があるのに」
この無茶苦茶な理屈。ハゲという罵倒。いつもは穏やかな令さまも、紛れもなく由乃さんと血がつながっている。まあ、さすがに令さまはものを投げないけれど。

試合はベイスターズがいつものように一方的にやられたまま終盤を迎えて、選手交代のアナウンスが場内に響いた。
「ベイスターズの選手の交代をお知らせします。8番、中村に代わりまして代打新沼」
すっかりうなだれていた令さまが突然生気を取り戻した。まるで萎れた風船に空気を入れ直したよう。
「新沼さんですって! ベイスターズに昇格したのは知っていたけれど、お姿を拝めるなんて、今日はなんてラッキーなんだろう!」
いうが早いか令さまは再びカメラをとり出し、バッターボックスに向かう新沼を激写し始めた。 そうか。新沼もハンサムだもんね。
カキーン!
新沼の打球が三遊間をきれいに破った。
「きゃああああああああ! 新沼さんがヒットを打った! もう、盆と正月と感謝祭と謝肉祭と過ぎ越しの祭と花祭りが一緒に来たみたい!」
あの、令さま。宗教が混じりまくっちゃってます。
すると。
ガコーン。
令さまが狂喜乱舞して、首から下がっていたカメラの望遠レンズが祐巳の頭をきれいにヒットした。本体がヒットしていたら気を失うところだった。
「いたたたたた。何するんですか令さま」
「あ、ごめん。でも、新沼さんがヒット打ったんだからいいでしょ? ああ、新沼さんもお美しい。」
なにがいいんだかさっぱりわかりません、令さま。

「祐巳ー。由乃さんから電話」
疲れ切って帰宅した祐巳がベッドで横になっていると、祐麒が叫んだ。
『もしもし、祐巳さん。今日はごめんなさい。令ちゃんにつきあってもらっちゃって』
「ううん、いいよ。でも、結構ショックだったな」
『でしょう? 令ちゃんたら、何しろ中身が普通の女の子以上に女の子だから、いい男に目がないのよ』
「目がないって言っても、あれはちょっとひど過ぎない?」
『うん、私もそう思う。令ちゃんって、いつもは優しくて、さばさばして、男らしくて素敵でしょう? だからああいうところはちょっとね』
由乃さん。この期に及んでのろけですか。
『昨日までは私も一緒に行くつもりだったのよ。でも、先発が福盛だっていう情報があったから、私は遠慮したというわけ。その上新沼まで出たっていうんだから大変よね』
「大変も何も。死ぬかと思ったよ」
『あ、カメラで殴られたんだったわね。私もやられたことあるわよ。その時は帰ってから何倍かにして返したけれどね』
令さまにまさか仕返しなんかできない祐巳は、金輪際令さまと野球を観に行かないと決心することしかできなかった。

次の日、話を聞いた祥子さまに令さまが手ひどくとっちめられたのは、また別のお話。

戻る